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コラム
「虎に翼」を見て考える弁護士の原点
2024年04月
弁護士: 松村 美母衣
分 野:
「虎に翼」を見て考える弁護士の原点
新年度の始まりとともに、密かに楽しみにしていたNHKの朝ドラ「虎に翼」が始まりました。主人公は、日本初の女性弁護士で、後に裁判官も務め、女性として初の裁判所所長にも就任された三淵嘉子氏をイメージモデルにしており、朝ドラには珍しいリーガルドラマです。
第1 弁護士の歴史
日本における弁護士制度は、明治時代にフランスの制度に倣って作られた「代言人制度」に始まるといわれています。明治5年(1872年)に制定された「司法職務定制」において、証書人(公証人に相当する)、代書人(司法書士に相当する)と並べて、代言人が定められ、代言人の職務とは、民事訴訟について「自ラ訴フル能ハサル者ノ為ニ之ニ代リ其訴ノ事情ヲ陳述シテ冤枉無カラシム但シ代言人ヲ用フルト用ヒサルトハ本人ノ情願ニ任ス」と規定されていました。しかし、制定時点では代言人の資格等に関する規定は存在せず、職業として公認したものとは扱われていなかったようです。
その後、社会の発展に伴い、職業的な代言人が認められ、これを政府の監督下に置くことの必要性が認識され、明治9年(1876年)に「代言人規則」が制定されることとなりました。同規則では、代言人は免許制となり、訴訟代理における「代書人・代言」の区別が廃止されることとなり、明治13年(1880年)に同規則の全面的な改正を経て、同規則による「代言人」が弁護士の出発点となりました。
第2 弁護士の門戸が女性に開かれるまで
昭和24年(1949年)に制定された現行の弁護士法では、法7条の欠格事由に該当する場合を除き、弁護士資格に関する諸要件が全て排除され、司法修習生の修習の終了のみを弁護士資格付与の基礎としています。
しかし、明治26年(1893年)に制定された弁護士法(旧々弁護士法)においては、弁護士資格の要件を「日本臣民ニシテ民法上ノ能力ヲ有スル成年以上ノ男子タルコト」と定め、女性はそもそも弁護士になることが認められていませんでした。その後、昭和8年(1933年)の改正により制定された弁護士法(旧弁護士法)において、資格要件が「帝国臣民ニシテ成年者タルコト」と定められ、ようやく弁護士の門戸が女性に開かれることとなったのです。
なお、この改正では、資格要件以外にも、弁護士の職務の範囲を拡張させ、裁判所以外の一般の法律事務まで行うものであることを明らかにした点や、弁護士試補としての実務修習を要件とし、考試を経て初めて弁護士となれるとした点も特色として挙げられます[1]。
第3 振り返り
「虎に翼」の意味を広辞苑で引くと、「威をふるう者に更に勢いをそえることのたとえ」とあります。社会において要職に就くことを阻まれていた女性が、法を味方につけ本来の強さと相まって社会で活躍していくことを表しているのかと思うと、物語の続きに心が躍ります。
本稿の執筆段階では、2週目に突入したばかりですが、主人公の寅子が違和感を覚えた際に「はて」と言うように、日常生活の中で感じる疑問を飲み込むことなく、声を上げ、動くことが重要だと気付かされます。
以上
[1] 日本弁護士連合会調査室(2019)『条解弁護士法〔第5版〕』弘文堂、1頁、3~5頁、37~43頁